ギャンブル依存症の行き着くさき

ギャンブル依存症の自助グループをGAと言います。ギャンブラーズ・アノミマス。ギャンブル依存から回復を目指すひとたちが、自分の体験を語り合う場のことです。基本的には当事者が運営しているので、参加に費用はほとんどかかりません。(気持ちとして200円から500円くらいを支払うケースがほとんどです)

そこで語られることはとてもディープで衝撃的なものです。もちろんその内容は外部にもらさないという条件があるから皆、安心して話ができるのですが。これからお話しすることは、あくまで架空の話です。しかし、現実に語られていることは、それ以上悲惨なものであることを添えておきます。(ここで書かれていることはあくまでフィクションです)

Aさん(男性 40歳)の話

20歳のころ、大学のコンパの帰りに、先輩にパチンコ屋に誘われました。全く興味がなかったAさんですが、つきあいと思ってちょっと打ってみることにしました。

そうすると、なんと500円で大当たりし、5万円もうかったのです。いわゆるビギナーズラックというものですね。これがきっかけで、Aさんはパチンコにハマリました。勝ったり負けたりをくりかえしていましたが、そのうち大きく負け越すようになりました。消費者金融からお金を借りて、なんとか生活していました。借金が返せなくなったとき、親に泣きついて200万円、肩代わりしてもらい、大学はなんとか卒業しました。大手出版社の経理部に配属され、社宅だったこともあり、パチンコはやりつつも生活は続けていくことができました。

その頃知り合った女性とも結婚し、子供も生まれ、見た目には幸せな生活が送れていたのです。

キッカケは大きな負け越し

ある日、Aさんは10万円負けてしまいました。生活費まで手をつけてしまい、消費者金融からはもう借りられない。Aさんは闇金からお金を借りて、競馬でさいごの勝負に出ました。(競馬は会社の先輩が教えてくれてハマっていました)

そのときに、Aさんはなんと200万円負けてしまったのです。借金はどんどん膨らみ、その総額はなんと2000万円を超えました。そしてとうとう、会社のお金に手をつけてしまったのです。当然、それもすぐにバレて、妻とは離婚、両親や兄弟からは絶縁、周囲にはだれもいなくなってしまいました。

刑務所から帰ってきて彼を待っていたもの

横領の刑期を終えて、社会に戻ったとき彼は40歳になっていました。つけた仕事はキツイ工場の作業員。年下の先輩からバカにされ、ストレスがたまってパチンコをする。お金はすぐになくなりました。仕事にも行けなくなり、かれはホームレスになってしまいました。そして、ある年の冬、肺炎をこじらせて救急搬送されて、あっけなくAさんは亡くなってしまいました。54歳でした。遺体、骨の引き取り手もおらず、無縁仏として埋葬されたそうです。かれが最期に発した言葉は「もしもギャンブルをしなかったら」だったそうです。

回復することはできたはず

こんな悲惨な人生、送りたくないですよね。Aさんは、回復するキッカケはいくつもあったのです。大学時代、大負けしたとき、刑務所から出てきたとき、ホームレスになったとき。ギャンブル依存症の治療は生活を立て直すことよりも優先されるべき、と言われています。また、福祉的な支援もたくさんあるのです。

まずは「ギャンブルをやめて自分の人生を取り戻したい」と決心することです。次には専門のクリニックにつながることがとても重要です。今からでも遅くありません。第一歩を踏み出してみませんか?


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